掲示板を閉じてから
 
 
2002年6月7日に4年余り開いていた掲示板関連を閉じました。
わたしにとっては<判決>が下りた時より<掲示板>を閉じた時の方が終わった……という虚脱感が強くしばらくの間、ぼんやりと時を過ごし、ご挨拶も遅れてしまいました。
仕方なく開いた掲示板でしたが、終わるとなったら妙に寂しいものですね……。
 
本当なら、事件のすべてが解決されてホームページそのものを閉じたかったのですが
この3月に新しい訴訟を起こされ(小樽美術館展示裁判)、また、やっと地裁判決が下りた(2002年5月30日判決)業者裁判の行方も現在はわからず、まだ本質的な<解決>には程遠い状態です。
そして、昨年10月、最高裁判決はいただきましたが法による解決はできても漫画家ご本人の解決にはならなかったようで、今後もまだどんな事が起こるか気を抜くことはできません。
そのときは、また掲示板を再開し、断固たる意志をもって抗議していくつもりですが、どうか、もうそのようなことがないようにと、祈るような気持ちでおります。
 
しかし、わたしにとっての<この事件>はもう終わったような気がしています。
訴えていたことのすべての結果が出て、また作品に対する姿勢も決まりました。
 
この事件で失ったものはもう振り返りたくありません。
得たたくさんのものについて、今、感謝したいと思っています。
 
ほんとうにたくさんの暖かいご支援をいただきました。
この掲示板を開いたいきさつは<コンテンツ>に書いた通りですが、その当時、まさかこんなに多くの方たちが原作者に理解を示して下さるとは思ってもいませんでした。
 
この事件において、いちばんわたしを苦しめたのが<中立>という言葉でした。
漫画家の<原作者否定>の主張を<中立>また<裁判が決めることなので口は挟めない>と受け止められることは、わたしにとって、そこでもまた<原作者否定>を各関係者にまでされたようなものだったのです。
もしも、わたしが敗訴したなら<中立の立場の人たち>はすぐにも<水木は原作者ではなかった>と態度を変えるのでしょうか。
わたしがやってきた<原作>という仕事は、出版社、アニメ会社、読者たち、そして漫画家諸氏にとって<そんなもの>だったのか、と思うとやりきれない思いでした。
……深い衝撃に沈んでいた時、掲示板上で<漫画家の主張はおかしい>とはっきりといって下さった方たち____
ほんとうに、どんなに力になったか分かりません。
インタ―ネット…この掲示板でしか知りえない、お会いしたこともない人たちでした。
みんな、作品とはなんの利害関係もないこの事件を通りすぎていくだけでもよかった人たちでした。
結果的に、そんな方々を巻き込んでしまったことを申し訳ないと思いつつ、情報をくださった方たちの善意など、ほんとうに有り難く、身に染みました。
あらためて、本当にありがとうございました。
原作者としてのアイデンティティを失いそうだったわたしの不安定な気持ちを救って下さったと思います。
 
原作者としてのアイデンティティ……。
この事件が起こるまで、考えてもいなかったことでした。
25年間、作品の原作者は自分だとだれもが理解してくださっていると自惚れていました。
しかし、わたしが知らないところで漫画家の虚言によって<原作者 水木杏子>は名前だけの原作者、あるいは漫画家のプロダクションのスタッフだと思われていたこともこの事件によって判明しました。
繰り返し言っていますが、原作の仕事は目に見えません。
<見えない仕事>を相手に否定されたら<証明>することはたいへんです。
この事件が公にならなかったら<水木杏子>はアシスタントのままだったかもしれません。
 
また、この事件で発覚した出版物から原作者の名前を消されるという事件は(”ジョージィ!”の原作者、井沢 満先生もイタリア版での原作者名削除の犠牲者です。)<原作者として消去>される、という危険を強く感じました。
出版社でさえ<原作者名削除>の<海外本>をなんの疑問も持たずに出版していた事実。
なぜ、そんなことができたのか_____それもこの事件がなければ、原作者たちはそんな本が出版されたことも知らないままでした。
まさに自分で自分を守らなければ<簡単に削除>されてしまうような立場だったのです。
 
けれど、皮肉なことに漫画家が最高裁まで争って下さった(?)おかげで、わたしは<原著作者>だと確定されました。
<原著作者>____わたしは25年間、そういった言葉さえ知りませんでした。知る必要のない言葉だったのです。
これで、わたしの死後も<自分が書いた原作である>ということを証明できます。
 
事件にかかった6年もの長い歳月はもう取り返すことはできません。
しかし、こんなにも長い間、いろいろなことを真剣に考えたことはありませんでした。
わたしは毎日、25年前を振り返っていました。
<あの仕事はただの 参考著作物 だったのか
<原作 という仕事はなんだったのか
<読者にとって 原作者 はどんな存在だととらえられていたのか
……もっと、もっと、いろいろなことを考えました。
……けれど、いちばん考えたのは
<漫画家はいったいどうしてしまったのか、なんでこんなことをするのか
と、いうことでした。
<事件>が起こるときは必ず<理由>があると思います。わたしは、漫画家の心の中になにが起こったのか知りたかった……。
その理由によっては、<事を理解>することもできると思いました。
けれど、やっと納得した<理由>は耳をおおいたくなるような本人からの原作者否定の言葉だったのです。
けれど、このことも、知らないでいたより知ったほうがよかった……。
生きることの深遠さ、人の心の闇を見詰めることができました。
 
そして、この長い間に<わたしの作品の登場人物>がそっと支えてくれたことの驚き。
”ふーこと和夫くん”……ほんとうに、ありがとう!
あなたたちが、純粋で愛らしい読者たちをこのホームページのガーデンテラスに引き寄せてくれたのです。
わたしに<書くこと>を取り戻させてくれたのです。
……(もう、書く事が哀しい)とまで思っていたわたしに、力を与え、みんなに応えられるようないい作品を書きたい、書かなければ! と 強く思わせてくれたのです。
その上に、わたしの過去の作品を集めてくださったホームページ……
今までやってきた<漫画原作>に対して後ろ向きな気持ちでいたわたしに、(やってきてよかったのだ)と思い直させてくれました。
そういった出会いも、この事件あってのことでした。
 
そして、また、大人になったキャンディファン……
作品がこんなに子供の心に残っていくことの素晴らしさも知りました。
この事件での一番の被害者はキャンディのファンたちでしょう。
わたしが最後まで考えたことのひとつ……
<作品はだれのためにあるのか。
特にキャンディは<漫画>作品です。多くのファンば漫画家の<絵>に惹かれてファンになったことはよく分かっています。
わたしも漫画家の仕事にはずっと一目置いてきました。
しかし……
この事件は<作品の根本、原作を書いた事を”漫画家”に否定>されたのです。
自分の意に反した曖昧な形の妥協は、一生の悔いになる、と結論しました。
 
それを理解してくれるファンも、怒りを覚えるファンもいるでしょう。
わたしはそういったすべての思いを受け止め、十字架とし、今後も考え続けようと思っています。
 
けれど、なによりの驚きと喜びはこの事件の間に<キャンディ>という少女と物語の人物たちが<絵>から抜け出し<心のままのかたち>でわたしの元に戻って来てくれたことでした。
しばし、この子達を抱きしめ、ゆっくりと語り合いたいと思っています。
 
この掲示板には<薬も毒>もありました。
わたしはこの事件によってはじめてパソコンに触れました。(これもこの事件で得たことのひとつです。)
ネットに不慣れなため____という弁解ではおさまらないような、不出来な管理しか出来なかったこと、お詫びします。
わたしの心積もりでは一審で事件は終わると甘い判断でいました。
<一審判決>とこの事件のあらましをUPしてすぐさま閉じるつもりでした。
こんなに長い間<管理人のつるさん>にお付き合いいただくとは思ってもいなかったことでした。(つるさん、ありがとう。あと少し、よろしくね!)
ウイルスメールと戦って下さっていたつるさんの手間を考え、また、心の健康なども思ってメールアドレスも閉じることにしました。
 
今後も<裁判関連のご報告>や今まで書ききれなかったこと、この事件で知った司法のことなどを、ホームページ上で少しずつUPしていきたいと思っています。
 
長い間、ほんとうにありがとうございました。
この事件からいただいた多くのことを糧として、今後、少しでもいい作品を書いていくことが、ずっと見守って下さったみなさまへのご恩返しだと思っています。
 
  2002年 6月13日  水木杏子